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第9章

第45帖「橋姫」~ 

第54帖「夢浮橋(ゆめのうきはし)

さて、恋愛にはあまり関心のなかった薫でしたが、その中でも強く心を惹かれた女性がいました。

その女性は宇治の大君(うじのおおいきみ)という女性で、故桐壺帝の第8皇子にあたる宇治八の宮(うじはちのみや)の長女にあたります。

宇治の八の宮は、仏教について長年研究を続けていた人物で、若いころから出家を考えていた薫は、仏教の師として八の宮との交流を深めていきました。

 

薫が八の宮の屋敷を訪れていたある秋の夜。

秋の夜長に楽器を演奏して楽しむ大君とその妹・中君(なかのみき)の姿を目にした薫は、大君の優雅で美しい姿に心を奪われ、大君へ思いを寄せるようになります。

薫は、美しい大君に恋をしたことを匂宮に語り、匂宮は「あの恋愛ごとに関心のなかった薫にも、とうとう恋の季節が訪れたか」と驚くとともに、薫をその気にさせた大君・中君姉妹にも興味が湧き始めました。

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しかし、思い合う者同士が結ばれないというのもまた恋愛です。

厄年を迎えた八の宮は、屋敷を離れ、山寺にこもることを決めました。

薫には「自分のいなくなったあと、娘たちのことは頼む」と告げるとともに、大君・中君たちには「私たちは皇族の血を継いでいる貴族であることを自覚し、軽々しく結婚するなど愚かなことはしてはいけない」と戒めの言葉を遺し、そのまま山寺で亡くなりました。

 

父の死に悲しむ大君に、薫は「宇治を離れて一緒に都で暮らそう」と愛を伝えます。

しかし大君は、父の教えを守り自分は生涯独身でいることを決意しており、代わりに、妹の中君を、薫と結婚させようと考えていました。

大君の思いを知った薫でしたが、やはり大君のことが諦められないので「自分ではなく匂宮と中君を結婚させよう」と考えました。

薫は、匂宮と中君の仲がうまくいくようにサポートし、匂宮も中君のことを好意的に思っていたので、二人の関係は順調にいくかと思われました。

しかし、

匂宮の母・明石中宮(あかしのちゅうぐう、かつての「明石の姫君」です)から

「自分よりも身分の高い姫君のところへ、そう簡単に足しげく通うものではありません」と反対されてしまいます。

 

さらに匂宮の父であり、現在の帝である今上帝(きんじょうてい)が、匂宮が中君の所へ足しげく通ってしまわないよう、夕霧の六女・六の君(ろくのきみ)との結婚の話を取り決めてしまいました。

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これを聞いた大君は大変ショックを受け、心労のあまり病気になってしまいます。

薫は大君を懸命に看病しましたが、最期は薫に看取られながら息を引き取りました。

大君と結ばれることのないまま最期を迎えた薫は深く悲しみました。

薫がひどく落ち込んでいる様子を知った明石中宮は、

「あの薫がそこまで思い続けた姫君の妹ならば、きっと素晴らしい人なのだろう。

匂宮が熱心になるのも当然だわ…。」

と中君を匂宮の側室=愛人として都へ連れてくることを許可しました。

 

 

愛した大君から、そしてその父・八の宮からも「後のことは頼む」と言われていた通り、薫は匂宮と中君の婚姻の準備を進め、宇治から上京した中君は、匂宮からとても大切にされました。

しかし一方、先に匂宮との縁談の話が出ていた六の君に対しては、匂宮も薫もさほど興味のない様子で、二人のこのような態度を、六の君の父・夕霧は不満に思っていました。

 

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六の君との縁談に気が進まなかった匂宮でしたが次第に六の宮の美しさに夢中になっってしまい、気が付けばすっかり中君よりも六の君と過ごす時間が増えていました。

一人の時間が増えた寂しさを紛らわそうと、中君は薫と過ごす時間が増え、その中で「亡き姉・大君に似た 浮舟(うきふね)という異母妹がいる」ということを薫に話します。

 

春が訪れ、薫は宇治へと出かけた際に、浮舟の姿をたまたま目にします。中君から聞いていた通り、確かに浮舟は、あの大君によく似たとても美しい女性でした。

 

浮舟は、宇治の八の宮と、その屋敷で使えていた世話係の女性との間に生まれた子です。

父の八の宮からは認知されておらず、母からは大切に育てられましたが、養子として預けられた常陸介(ひたちのすけ)の家では、疎まれていました。

また、預けられた常陸介の裕福さに近づいてきた中流貴族と浮舟の間に、縁談の話が出ましたが、浮舟が実の子ではなく養子であることがわかると、この縁談はあっさり破談となってしまったということも経験しており、何かと不遇な人生を送り続けていました。

 

 

そんな娘を不憫に思った浮舟の母は、彼女を都で暮らす中君のもとへ預けることを決めました。

浮舟は中君の暮らす屋敷に迎えられ、浮舟と薫は恋仲の関係となりましたが、薫は迷っていました。

姿こそかつて自分が愛した大君によく似ているが、大君に比べると教養もなく、音楽など貴族のたしなみも身についていない、内面の魅力に欠ける女性であると、薫は感じていたからです。

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そんな中、屋敷で偶然浮舟の姿を目にした匂宮は、美しい浮舟に強引に迫ります。

「側室である中君様のそばにいながら、異母妹である自分が言い寄られてしまうなんて…。」

と浮舟は大変気まずく思いをし、中君もそのように思い悩む浮舟の姿を気の毒に思ったので、浮舟と薫の二人は、中君の屋敷を離れ、再び宇治の屋敷へと戻りました。

 

 

しかし、浮舟のことを忘れられなかった匂宮は、薫の留守を狙って宇治の屋敷を密かに訪れていました。

薫に変装し、浮舟の寝室に忍び込んだ匂宮は、強引に浮舟と男女の関係を結んでしまいます。

匂宮の変装に気づくも 時すでに遅く、「薫様という恋仲の男性がいながら、私はなんということをしてしまったのだ…!」と浮舟は後悔しました。

しかし、後悔の思いを抱きながらも、浮舟の心の片隅には迷いがありました。

ともに宇治に戻ってからというもの、恋仲であるはずなのに、やけにあっさりしていて、本当に自分を愛しているのかわからない薫様。

一方、強引なところはあるが、情熱的で自分をまっすぐに愛してくれる匂宮様…。

満たされない心を埋めるような匂宮からの愛情を受け続け、浮舟の心は揺れていました。

 

 

やがて、浮舟と匂宮が関係を持ってしまったことも薫に知られてしまい、薫と匂宮との三角関係に浮舟は思い悩み続けてしまいます。

胸の苦しみはどんどん増していき、追い詰められた浮舟は

「こんなに苦しいのなら、いっそのこと…死んでしまおうか…。」と自ら死を選びます。

 

浮舟は、自ら川に飛び込み、その波乱に満ちた生涯を終えようとします。

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「浮舟が行方不明になった」との知らせは、薫と匂宮の耳にも入りました。

浮舟に仕えていた世話係から「三角関係に思い悩んだ末、川に飛び込み自殺を図ったのではないか」との話を聞いた二人は、大変なショックを受けます。

匂宮は、よほどショックだったのか、口では「病気を患ったのだ」と言い、屋敷にこもるようになってしまいました。

また薫も、浮舟のともに宇治に移り住んだものの、熱心に相手をしてやらなかった自らを責め、後悔しました。

 

浮舟の遺体が川から上がってくることはありませんでしたが「浮舟はもう戻らない」と誰もが感じ、浮舟の葬儀は執り行われ、やがて四十九日の法要を迎えました。

 

更に季節が過ぎたころ、薫と匂宮は、気晴らしにと新しい恋をはじめようとします。

薫には、新たな縁談の話なども持ち上がりますが、やはり大君・中君・浮舟の3姉妹のことを忘れることができません。

その後の薫は、夕暮れになると さみしさを抱きながら3人のことを思う日々を過ごすのでした。

 

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さて、源氏物語はここで終わりと思いきや、もうちょっとだけ続きます。

あの日、自ら川に飛び込み死んでしまおうとした浮舟は、実は生きていたのです。

 

身を投げた浮舟の体は、宇治川を流れ、運よく岸辺に打ち上げられました。

昏睡状態で倒れていたところを、たまたまその場を通りかかった僧の一行に助けられた浮舟は、「この美しい姫は、観音様からの授かりものにちがいない」と数年前に娘を亡くした尼僧から、手厚く看護されました。

薫と匂宮が、新しい恋を始めようとしていた季節の終わり。

浮舟の意識は戻りましたが「いっそ死んで楽になりたかったのに…」と生き延びてしまったことを悲しみました。

世話を焼いてくれる尼僧たちにも心を閉ざし、自分のことを誰にも話すことなく、ひとりで物書きをして過ごしていましたが、やがて浮舟は、出家を果たしました。

 

 

「川で助けられた美しい姫が、尼僧として出家した」との噂は、都で暮らす薫の耳にも入りました。

「その尼僧は、きっと浮舟に違いない」と、薫は浮舟への手紙と従者を送りました。

あの源氏に肩を並べるほどの貴公子だと世間で噂されている薫からの手紙に、浮舟を除く尼僧たちは大変驚きました。

手紙は「薫は復縁をしたいと思っている。出家したと噂で聞いたが、尼僧であることを捨て、どうかもう一度都へ戻ってきてくれないか」というような内容でした。

 

しかし浮舟は、薫の従者に会うことはせず「もしお返事を書いたとしても、人違いでしたら困りますので…」と薫からの手紙に返信することもなく、また物書きをして暮らすのでした。

 

 

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この最終巻「夢浮橋」をもって、紫式部が書いた「源氏物語」は終わります。

 

「登場人物の誰もが幸せに暮らしましたとさ」、というハッピーエンドではなく、まるで続きがあるようなぼんやりとした終わり方ですが、それは紫式部からの「このあとの物語は、読者のみなさんの想像力にお任せいたします」という意図的なメッセージであるとされています。

実際に、「もしかしたらこんな話だったかもしれない」と別の作家が「夢浮橋」のその後を書き綴った小説群が、鎌倉時代から室町時代にかけて出版されました。(「山路の露」、「雲隠六帖」という作品です)

源氏物語関連の展示やグッズ販売は

おとなりの「紫ゆかりの館」まで!

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