【③ 当時の結婚・夫婦生活ってどんな感じ?】
現在の日本では法律上「一夫一妻制」が定められており、妻が2人以上いる重婚は認められていません。
しかし平安時代は、1人の男性が複数の女性と婚姻関係を結ぶ「一夫多妻制」が認められていました。
正確には「正妻」とされる女性は同時に1人までで、その正妻のほかに複数の女性を妾(めかけ)=愛人として関係を結んでよい、ということでした。
光源氏が作中でたくさんの愛人や恋人を作っていたのは当時としては全然OKだったということです。
また「正妻」は親や親族が決めた結婚相手でありまた家計の切り盛りなども務めなければなりませんでした。
なぜ当時は一夫多妻制が認められていたのでしょうか?
それは「多くの女性やその子どもたちをしっかり養える男性はそれだけの能力があるということなので、養う女性が多ければ多いほど男性として優れている」という考えがあったからです。
他にも当時の結婚にはいろいろなルールがありました。
★ 男性は15歳、女性は13歳以上でないと結婚できない。
…当時の男性は11~15歳、女性は10代前半で成人の儀式を迎えていました。
結婚は成人してから!という感じです。
★ 双方の家族から「結婚してもよい」、と了承を得ていること。
特に女性が結婚する時は、自分の祖父母、おじ・おば(伯叔父母)、
兄弟、母方の両親(外祖父母)の許しがないと結婚してはいけない。
…ほぼ全員の身内からOKをもらわなければ結婚は認められず、周囲の反対を押し切って結婚!なんて、とんでもない!と
されていました。
★ 夫婦であっても男女が同じ屋根の下で暮らすことはせず、別々の屋敷で 暮らすこと。
「女性は表に出ず、ひっそりと過ごすこと」が当然とされていたので、会う場合は 男性の方から、女性の屋敷を訪れること。
…ただし
女性の方が家族に先立たれて頼れる人は夫しかいない
といった状態であれば同居をすることもありました。
なので仲がいい時もそうでない時も四六時中夫婦で一緒にいる、といったことはなく
愛する妻のもとへ毎日の ように会いに行く男性もいれば正妻であるにもかかわらず
「彼女とはそりが合わないから…」と妻のもとへ全く会いに行かない男性もいました。