top of page

​【① 「モテる平安女子・男子」とは?

「人目を避け、姿を隠して過ごすのが平安女子のたしなみ」とされた時代。

もし平安時代の貴族が、

自撮りをして自分の言葉でSNSに投稿している現代の女性たちの姿を見たら、きっとびっくり仰天です。

 

また女性の方から「彼氏を作る!」と積極的に行動をしていくようなこともせず、

男性の方から好きになってもらう、というスタンスの時代でもありました。

 

 

ではSNSや合コンがない平安時代に貴族の男性たちは、どのように恋人を作っていたのでしょう?

当時の男性は、近しい人や世間の噂話を元に自分の恋人を探していました。

 

年頃の娘をもつ父や妹がいる兄、

女性の身の回りの世話をする「女房(にょうぼう)」と呼ばれる家政婦やメイドのような人たちが、

素敵な男性に見つけてもらえるよう、意図的に噂を流し男性からの関心が集まるよう陰で動いていたのです。

また「一目だけでも姿が見てみたい…!」と、女性の住む屋敷に忍び込んですだれ越しに女性の姿をのぞき見ようと奮闘する男性もいたそうです。

 

当時はどのような女性が魅力的だと思われていたのでしょうか?

「理想的な平安女子」の特長は次のようなものでした。

 

家柄が良く、身分が高い女性であること。

…具体的には、

「天皇家の血筋が入っている」

「親が高い役職についている」

「名門貴族の子である」などです。

 

美人であること。

…ふっくらしていてサラサラでツヤのある長い黒髪が平安女子のモテスタイルでした。

ただし、家柄がいいことの方が重要視されていました。

 

性格が良いこと。

…特に礼儀作法が身についていることは大事でした。

 

高い教養があること。

…書道・和歌・楽器(琴や笛)など学問や芸術に秀でた貴族が魅力的とされていました。

一方「理想的な平安男性」の特長はこんな感じ。

 

家柄が良く、身分が高い男性であること。

…男性も天皇家に近かったり、家が名門だったりするとそれだけでモテました。

 

芸術や学問の才能があること。

 

性格が良くて、女性関係でのごたごたがないこと。

 

出世の見通しがあること。

 

こうして見ると、現代でもモテる男性像と一致する点がありますね。

 

 

平安時代は男性中心の社会で、政治のことは全て男性たちが決めていました。

政治の世界で権力や影響力のある男性に気に入られれば、自分や周りの家族たちがよりよい生活ができるよう取り計らってもらえるので、

より身分の高い男性との縁談が結べるよう、親世代の貴族たちは娘の教育に真剣でした。

恋愛や結婚とは、本人同士だけでなく家同士の問題でもあったのです。

 

年頃の娘・息子たちを持つ平安パパ・ママたちは

「自分の子どもは、どのような人とお付き合いをするのだろうか?

この家の一員となるのにふさわしい人物なのか?

家の名前に傷をつけるような人ではないだろうか?」

ということを考えていたのです。

源氏物語関連の展示やグッズ販売は

おとなりの「紫ゆかりの館」まで!

館名ロゴ.png
bottom of page