第7章
第39帖「夕霧」~
第41帖「幻」
源氏の息子・夕霧は、親友・柏木の遺言の通り、遺された柏木の妻・落葉の宮のことを気にかけるようになります。
物静かで雰囲気のある落葉の宮のことを次第に好意的に思うようになった夕霧は、落葉の宮と その母・一条御息所(いちじょうのみやすどころ)の住む屋敷へ何度も通うようになりました。
夕霧の落葉の宮への想いは日に日に増すばかりでしたが、落葉の宮 本人は夕霧のことをかたくなに拒み続けました。
しかし夕霧はまったく折れることなく、夜通し落葉の宮へ求婚し続け とうとう朝帰りをするようになってしまいます。
落ち葉の宮が夕霧を部屋に入れることはなかったので、夕霧は一晩中 部屋の外から落ち葉の宮への愛の言葉を語りかけては、朝になると帰っていくだけだったのですが、夕霧が明け方に娘・落葉の宮の部屋から帰っていく姿だけを目にした一条は、
「もしや二人は男女の関係を結んだのではないか?」と勘違いしてしまいます。
事の真相を知ろうと、一条は夕霧へ手紙を送り聞き出そうとしますが、屋敷に届いた手紙を見つけた夕霧の妻・雲居雁は、
「私というものがありながら、他の女のところから朝帰りをしたですって!?」と激怒し、その手紙を夕霧に見つからないよう隠してしまいます。
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夕霧からの返信が届かなかったため真相がわからない一条は、不安な日々を過ごし続け、その心労のためか急死してしまいます。
母の突然の死に落葉の宮はひどく悲しむとともに、「母が死んだのは夕霧のせいだ…!」と夕霧のことをひどく恨み、ますます拒むようになります。
落葉の宮が夕霧への恨むようになる一方。
世間では、夕霧と落葉の宮の関係は公認のように噂されるようになり、落葉の宮は困惑します。
このような噂が大きくなると、当然 夕霧の正妻である雲居雁の嫉妬心は、ますます激しいものとなってしまい、夕霧・雲居雁夫婦の関係はどんどん険悪になって行きました。
6年にも渡る大恋愛の末に結婚し、たくさんの子どもにも恵まれた幸せな夫婦だった二人の姿はどこにいってしまったのか…。
雲居雁は、自分の子どもたちを連れて実家に帰ってしまいます。
なんとか家に戻ってきてもらえないか、と雲居雁の実家を訪ねる夕霧でしたが、雲居雁の怒りは収まらず、
「流石は名だたる光源氏の息子ですね。(=浮気性で有名な光源氏と似て、あなたもどうしようもない浮気性の男ですね)」と夕霧を罵倒します。
自分の父までも侮辱され、カチンときた夕霧は、「そういう底意地の悪さは、かつてのあなたの父・頭中将にそっくりだ」と雲居雁を罵倒し返し、とうとう二人の関係は決裂してしまいます。
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さて、その父 源氏はというと。
紫の上が突然病に倒れたあの日以来、紫の上の容態は完全に回復することはなく、源氏は看病し続けました。
一度は危篤状態にまで陥ることもあり、その後 なんとか持ち直しましたが、全快の兆候はなく、じわじわと衰弱していくばかりでした。
日に日に弱っていく紫の上は、源氏に「どうか出家をさせてほしい」と頼みますが、紫の上を失いたくない源氏は決して出家を許しませんでした。
しかし紫の上自身も「自分はもう長くはないだろう」ということを感じ、仲の良かった明石の君や、娘のようにかわいがった明石の姫君の子(=源氏の孫)である匂宮(におうのみや)など、好意にしていた人々との最期の対面を果たします。
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残り少ない時間を惜しみながら過ごす日々の中、紫の上の病床で、源氏・紫の上・明石の姫君の親子3人で歌を詠み合っていた夏の日のことでした。
紫の上の容態が急変し、最期は明石の姫君の手を握ったまま、紫の上は息を引き取りました。
多くの女性を愛した源氏の生涯のなかで、まだ少女だったころから、紫の上は片時も自分のそばを離れませんでした。
すれ違うことがありながらも、ともに愛し ともに過ごしたかけがえのない紫の上を失った源氏の悲しみはあまりにも深く、源氏は自分を遺して先立ってしまった紫の上の亡骸のそばを、一切離れようとしませんでした。
悲しみに暮れる源氏に代わり、葬儀は息子の夕霧が執り行いましたが、その間も源氏は泣き続けるばかりでした。
翌日、紫の上の葬儀には、帝や頭中将をはじめとする多くの貴族が弔問に訪れました。
「本当はすぐにでも出家したい。紫の上を失ったこのつらく悲しい日々から解放されたい」と願う源氏でしたが、世間体を考え、気持ちを押し殺しながら日々を過ごしていきました。
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季節は過ぎ、紫の上の死から1年近くが経とうとしていました。
紫の上を失ったあの日から源氏の心は晴れることがなく、明石の君、女三宮など他の女性たちと言葉を交わしても、紫の上を失った悲しみが深まるばかりでした。
紫の上の一周忌が過ぎ、源氏は「年が変わったら出家をしよう」と決意し、身辺整理をはじめます。
身支度の途中、源氏は紫の上が自分に当てて書いてくれた手紙の束を見つけます。
それは、かつて自分が須磨で孤独な日々を過ごしていたころに紫の上が送ってくれたものでした。
手紙の文字は色褪せることなく今もなお美しいままで、懐かしいどころか まるで昨日書かれた手紙のようでしたが、その美しさが かえって紫の上はもうこの世にいないのだという孤独を強くさせました。
それでも源氏は悲しみの心を捨て去ろうと、すべての手紙を破り、燃やしつくしてしまい出家の支度を進めるのでした。
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12月。
年が変われば出家し、世俗との縁を切ってしまおうと誓った源氏にとって、華やかな宮中で過ごす最後の月がやってきました。
紫の上の死後、ほとんど公の場に姿を見せなかった源氏は、久しぶりに外出し、宮中へと赴きました。
その姿・立振る舞いは、かつて源氏が「光り輝くように美しい、光る君」と皆から愛でられた美青年だった頃よりも、なお一層美しく光り輝いており、そのあまりの美しさに、その場に居合わせた僧や貴族たちは涙を流すほどでした。
年末。
屋敷では「追儺(ついな)」と呼ばれる、新年を迎えるための厄払いの行事が行われていました。
源氏の孫・匂宮(におうのみや)は、まだ幼く、追儺の儀式が面白いのか、無邪気にはしゃいでいます。
その愛らしい様子を見るのも、これが見納めであるなと、源氏は静かに思いをはせるのでした。
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その後、出家をした源氏は、3年ほどして息を引き取りました。
平安一の美男子、光源氏の物語はここで一旦幕を下ろします。
以後、物語は源氏の息子・薫や、孫の匂宮を主人公に、その後が描かれます。